チームの結束力で連携をとり、チームの技術力で信頼を築きます。
企業概要
企業名 | 株式会社 堀江鉄筋工業 |
創立年月日 | 昭和44年1月5日 有限会社に組織変更 |
設立年月日 | 昭和49年7月10日 平成元年4月1日 株式会社に組織変更 |
資本金 | 1,000万円 |
建築業登録 | 茨城県知事 判‐27 第4338号 |
営業種目 | 鉄筋工事業 |
主な受注先 | 清水建設㈱ 株木建設㈱ 平成建設㈱ ㈱淺沼組 ㈱アキラ建設 ㈱旭興業 岩村建設㈱ 鹿島建設㈱ ㈱川田建材工業 関東建材㈱ 黒川建設㈱ 昭和産業㈱ ㈱銭高組 滝田建設㈱ 日本道路㈱ ㈱フジタ |
本社所在地 | 〒308-0847 茨城県筑西市玉戸2097 |
役員 | 代表取締役 堀江 浩二 取締役 堀江真里 |
取引銀行 | 筑波銀行 筑西支店 常陽銀行 下館支店 |
技術者 | ものづくりマイスター 1名 二級建築施工管理技士 3名 登録基幹技能者 5名 一級技能士 9名 二級技能士 2名 職業訓練指導員(建築) 2名 鉄筋マイスター 1名 |
工場増設 | 昭和44年 屋根のない屋外に門型クレーン1基で始まる 昭和55年 有限会社に組織変更時に、第一工場建設 昭和60年 第二工場を建設 平成21年 第三工場を建設。(全ての工場に屋根が付く) 令和2年3月 新事務所完成 |
堀江鉄筋工業の歩み
会長(初代の社長)堀江要一郎は、農家の長男として生まれ、 高校卒業後に授業料の借金の返済のため、堀江本家の堀江産業に丁稚奉公に出向しました。
家業や奉公先での体験から、自分の置かれた立場からでは農業や産業の下請けでは生計が立てられないと判断し、新婚ながら私の母と共に上京し、高度成長期で需要が求められていた建設業で働くことを決心しました。
その中で鉄筋工事業に出会い、建築の土台となる基礎のそのまた基礎となる鉄筋工事の重要性と自身との相性を感じ、この仕事で一生食べていくことを決心し、私が生まれた年に「堀江鉄筋工業」を創業しました。
最初は、私の母と親戚の叔父さんと初の社員の栗原さんの4人で始め、少しずつ軌道に乗りだした頃、先見の明があった会長は、他所に先駆け門型クレ一ンを入れると共に将来の増員ことも考え、工場に屋根を付け、作業性の向上をはかりました。 その甲斐があって仕事は順調に増え、第2工場、第3工場の建設と事業を拡大することができました。
鉄筋加工は材料や製品が大きく、屋根が無くても出来る仕事が鉄筋工事業でありましたが、仕事場に屋根のあると無いのでは作業性や企業イメージ、さらには役所の検査対応が全然違うもので、あらためて作業環境の重要性に気付かされたものでした。
現在でも茨城で屋根付き工場のある同業者は片手程度と数えるくらいしかないのが実情です。
また、創業当時から加工機、切断機など設備の効率化に重点を置き、最新機種が導入してきましたが、素人でも簡単かつ安定的に操作することができ、作業性と品質性の両立が出来たことで、同業者との差別化や優位性がついたのだと確信しています。
今では加工と現場の分業化が当たり前ですが、約35年前から分業化にしているのは、当時としては斬新な発想でした。
この発想力や実行力こそ堀江鉄筋工業の強みであり、この先も様々なアイディアと提案力で建築業の基礎を支えて行きたと思っています。
代表者挨拶
建築、土木工事で鉄筋施工の専門工事業を営み、お陰様で半世紀を迎えることができました。
鉄筋工事というのは、建物の骨組みを造ることで、人間に例えると骨格にあたり表面上には表れませんが1本の鉄筋も省くことが出来ない、とても重要な仕事です。
近年の構造物は100年建築といわれ、“地図に残る仕事”であり、未来の子供たちに負担をかけず、資産として何が残せるかが重要なポイントになっています。
この観点からしても建築業に係わる全ての事業者が未来を意識し、誇りをもって取り組んでいかなくてはならぬことだと思っています。
創業から今日まで堀江鉄筋工業が築き上げてきた信頼と技術を活かし、子供たちの未来に向けて更なる発展を目指します。
代表取締役 堀江 浩二